痔だ。
おれはずっと痔をわずらっている。

 

痔を発症したのは高校1年生のはじめ。

高校に入学し、昼食がバランスのよい学校の給食から母の手作り弁当に変わったことが原因だと当時は勝手に思っていた。しかしこうやって振り返ってみると、母の弁当にはちゃんとサラダも入っていたし、栄養面でもまったく問題のないおいしい弁当だった(ありがたい話だ)。つまりこれが痔の直接の原因でなかったことは明白だ。ではなぜおれはこのとき痔になってしまったのか。なぜかと聞かれれば、時がきたと答えるほかない。初潮のようなものだ。

 

それから十余年、ずーっと"軽度"な痔だ。

そう、おれの痔はきわめて軽度なのだ。痛みはまったくない。程度が進むとイスに座れなくなるとか、階段が降りられなくなるとか聞いていたがそんなことは予兆すらないし、そこからイボ痔や痔ろうといった、スカルグレイモン的な負の進化も遂げていない。排泄に関してもシステムオールグリーンだ。都度トイレの水が朱に染まる以外、岡田准一宮崎あおいと同様の仕組みで排泄している。

 

もう何年もずーっとこうだから、トイレの水が真っ赤でもいまさらなんともおもわない。むしろ逆に血が出てないと『おっ』ってなる。スーパーで豚肉が思いがけず安かったときの、近所でランボルギーニを見かけたときの、『おっ』だ。通常と異常が逆転してしまっているのだ。

 

何度か治そうかと思ったこともある。普段行かないひとつ離れた薬局でボラギノールを買い、お風呂のときに肛門の裏表に塗布するのだ。お風呂でひとり肛門にヌリヌリするたび『なるほど...』とひとりごちてしまうのを禁じ得ない。しかしそれも一週間ぐらい『なるほど...』すると飽きてしまうので、結局そのまま忘れてしまう。使いかけのボラギノールが家に3本ほどある。

 

しかし、日常という幻想は脆くも儚い。
肛門急を告げる。2年前ぐらいだったが、一度異常な出血を経験した。

 

最初はおれのおしりの下で小さな三島由紀夫が自決したのかと思ったが、どうやら違うようだった。『赤い』というのは眼前に広がるこの事象において適切な形容詞ではなかった。それは、これまで出会ってきたヤツらとは違う"なにか"だった。

 

おれは畏れた。

排泄時の異常な出血は大腸ガンの症状だ。

 

すぐにおれは近くの肛門科をやってるクリニックに電話をかけた。

 

『排泄時に出血しまして、いや、痔ではないような気がするんです。いや、痔は痔なんですけど、ちがくてですね、』

 

焦りからか一休さんのとんちみたいな問答になってしまう。ええい、こっちはガンかもしれんのだ、落ち着いてなどいられるか。こちらの焦りが伝わったのか、その日に診てもらえることになった。すぐに車をかっ飛ばして診察室に飛び込んだ。

 

『痔ですね。』

 

いや知っとるわい。痔ですわい。そうじゃなくてオイラ、痔、かつ、大腸ガンの欲張りさんなのよ。サーティワンのチョコチップドチョコレートみたいに、ダブルでチョコなの。アタシの肛門がポッピングシャワーなの。おわかり?アンタもっとちゃんと調べなさいよ!!キー!!

 

処方された薬を肛門に塗布したら2日でふつうにおさまった。ふつうに痔だった。

そしてまた一週間ぐらいで『なるほど...』するのに飽きて、すぐいつもの軽度な痔にもどった。

 


ここ1ヶ月ぐらいまた肛門から異常な出血が確認されているが、かつての経験からきょうも安心してケツを拭くことができるのだ。

 

人は歴史から学ぶことができる。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福